寄稿
平野 学  みんなトモダチ、ずっとトモダチ

 
「あら、平野君じゃない?」「あ、ほんとだ平野じゃん」「元気?久しぶりだなあ」と何人かの人に突然声をかけられて、私は面食らってしまいました。それは今年の正月。実家に帰省するとかならず一度は顔を出すバーで、ウイスキーを飲んでいたときのことです。

 声の主は口々にそういうのですが、相手がよくわからないので、私は目をぱちぱちさせて返事に窮していました。すると今度は「私、○○です。」「おれ、○○だよ」と、ひとりずつ名乗り始めました。それを聞いて、四十代後半とおぼしき彼らの向こうに、青年期の顔が重なって見え始めました。

 高校時代の同じ学年の仲間たちだったのです。それにしてもなんと年相応になったことでしょう。でも、それは私とて同じこと。よく覚えていてくれたものです。聞けば、秋に行う、卒業三十周年記念の同窓会を企画している実行委員の集まりだといいます。もう高校を卒業してそんなにたつのかと、年を数えなおしてしまいました。同窓会にはぜひ来てほしいと誘ってもらいましたが、私は遠方だから確かなことはよくわからないと、その時は慎重でした。

 その同窓会が今月十五日に行われました。同じ学年の仲間は三百六十人あまり。そのうち、百人以上が集まって大きな会になりました。正月に偶然再会してから、いつのまにか実行委員たちとのつきあいが始まり、いつのまにか私も委員に名前を連ねるまでになっていました。夏休みに帰省したときには打合せに出席し、当日は受付の手伝いもしました。高校生のころ、みんなで文化祭の準備をしたときの連帯感を思いだし、なつかしい気持ちでいっぱいでした。

 委員の仲間が、会場に本を売る一角を作ってくれました。交通費の足しにと三年前に出版したエッセイ集を並べると、思ったよりたくさん売れてびっくりでした。買ってくれた仲間たちからサインを求められ、へたくそな字でひと言メッセージを書き添えます。「まるで流行作家みたいじゃない」と級友が冷やかしますが、実は気恥ずかしさでいっぱいでした。

 同窓会が終わると、心の時計の針を少しだけ後ろに戻したまま、みんなまたそれぞれの日常に帰っていきました。今度は五年後にまた会いましょう、という約束を残して。早、その日が楽しみです。