寄稿
平野 学   希望がいっぱい

 毎年、今時分のよく晴れた日には、深く澄んだ青空や、その下に生きる人や動物、そして色鮮やかな樹々も朽ち果てた草花さえも、私はたいへんいとおしく思います。そして、同時に言いようのないそわそわとした落ち着かなさを感じます。それは、このおだやかな風景を単調な寂しい色調に変えてしまう冬が、もうそれほど遠くないところに待ちかまえているからです。

 本来、季節の移ろいは、緩やかな足取りで徐々に景色を塗りかえていくものですが、寒さの厳しい地域では、こと秋から冬への変化はあまりにも劇的です。芝居の場面転換のように、ひとたび変わった後はもう行きつ戻りつをしない、きっぱりとした変化だと思います。

 今、そんな落ち着かない気持ちが去来する日々の中で、この秋を回想しています。暑かった夏を引きずるように始まった九月。さすがに北海道でも、気温の高い日が多くありました。異常気象という言葉がよく聞かれますが、いつもの年と比べてみると「ちょっと変だぞ」と思われる現象は、自分自身の生活の中にも確かに感じられます。

 そのひとつに、この秋は、天気雨がたいへん多かったと思います。それまですっきり晴れていたのに、雲がわいてきて、日ざしの中から突然ざあっと雨が降ってくるのです。まさに「きつねの嫁入り」です。確かに秋は天気が変わりやすい季節ですが、変化は周期的で、晴れている日はもっと安定していたように思います。

 さて、その天気雨につきものなのが虹です。この秋は、天気雨がもたらした虹もとても多く見られました。異常気象は困りものですが、こういうおまけは何と言ったらよいのでしょう。虹を見つけると、やはり素直にうれしくなって、心にわきたつものを感じます。さまざまな自然現象の中でもこれほど色彩的なものは他にないですから、昔の人たちはそこにいろいろな理由や物語を考えたのでしょう。

 よく知られているのは、虹はその中に蛇とか竜が住んでいるというものです。虹を表す漢字が虫偏であるのはその理由だと聞きました。しかも、虹には雌雄の区別があって、私たちがいつも使っている「虹」の字は雄のほうだそうです。辞書にあたってみると、雌には「 」という字があることもわかりました。虹の立ちあがる場所を掘ると宝物が出てくるという言い伝えもあるそうですが、実際にそれに挑んだ人は、どこまで歩いてもそこに行き着くことはできずに、さぞかしもどかしい思いをしたことでしょう。(「 」のなかは「虫偏に兒と書く字」です)

 私は虹を見た、そのときどきをすべて克明に覚えています。今年の秋の虹は、色が非常に濃くはっきりとしていて、まさに大蛇が出てきそうなものが多かったと思います。しかも、数分で、はかなく消え去るというイメージを覆すように十分以上もくっきりと出ていたものもありました。なかでも忘れがたいのは、海に架かった虹で、アーチの両端まで全部を見ることができました。

 月並みではありますが、私は虹を見るときにはいつも「きっとうまくいくさ」と思うことにしています。棚からぼた餅のようなラッキーを期待しているわけではありません。今いちばん一生懸命にやっていることが、よい結果になるだろうと信じることで、自分を勇気づけるのです。それが「希望」という言葉じゃないかと・・・

 この秋の空には希望をいっぱい託しました。そのたくさんの希望を携えて冬を迎えようと思っているところです。

 以上、 オホーツク新聞平成19年11月1日付掲載