寄稿
平野 学   きれちゃった?

 それは、空は高く空気も澄みきってすがすがしい休日の朝でした。秋も深まっていましたが、キッチンの小さな窓からさし込む朝日は眩しく、部屋のかたすみや家具のかげなどに残っている夜の垢みたいなものをひと息に吹き飛ばしてくれそうな気がしました。ストーブの火がちろちろと燃え、煎れたてのコーヒーのいい香りが部屋中に立ちこめています。

 なんて幸せな朝でしょう。そしてその幸福感にひたりながら私は、鼻歌交じりで休日の朝食を作っていました。こんな朝には細めのスパゲッティをスープ仕立てで食べたい。具材には今年最後にマイファームで収穫したブロッコリーと知り合いからいただいたばかりのカニの脚をメインにして、スープはさっぱりとしたコンソメ味に胡椒の風味をきかせて・・・調理は順調に進んでいました。
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 そのとき、残った野菜をラップに包もうとして、私はうっかり手を滑らせてしまいました。その衝撃で、ラップの切り口が芯に張り付いてしまったのです。さあこうなるとやっかいです。それまで難なくするすると箱から引き出されていたものが、かたくなに芯から離れません。だいいち、全体が均質な手触りでどこが切り口なのかもよくわからないのです。爪を立ててやみくもにかりかりとひっかいてみるのですが、そんなことでは解決の糸口すら見いだせず、だんだんいらいらしてきました。いやいや、ここは落ち着いて、と自分をなだめて何度も挑戦です。

 そうこうしているうちに、私は麺をゆでていることをすっかり忘れるほど、ラップの切り口さがしに熱中してしまったのです。気が付いたときには、麺はめいっぱい伸びきってもう赤ちゃんの離乳食みたいな食感になっていましたし、スープの方も、ブロッコリーは煮くずれて原形を留めないほどです。自分のせいとはいえ、なんといまいましいことでしょう。期待に満ちた朝食はさんざんな結果になってしまいました。勝負は一時休戦です。

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 不愉快な朝食を食べながら、私は考えました。「ここはひとつ知恵を働かせなくてはいけない。セロテープの粘着力を利用して切り口を探したらどうかな」これで成功すれば英知の勝利、少しは溜飲が下がります。やってみると、目論んだとおり切り口の一部がテープにくっついてはがれてきました。快刀乱麻!最初から冷静にこうやってはがせばよかったのです。ところが、勝利の雄叫びもつかの間、切り口を引っ張ってみると、今度はそこから斜めにはがれてしまって、芯の幅いっぱいには出て来ません。それどころか、一部だけが先にはがれてしまったラップは、もはや私の手に負えるものではなくなっていました。完敗です。

 その直後、ラップは力任せにゴミ箱に放り込まれました。がちゃんと大きな音がして、それまでストーブの横で昼寝をしていた猫がびっくりして飛び起きました。私のかんしゃく玉が爆発したのです。いったい物に八つ当たりするなんて何十年ぶりでしょう。でも、ひとたびことに及んでしまうと、心は複雑です。「ざまを見ろ、ああさっぱりした」という自分を正当化する気持ちと、憤りのままに行動してしまったという後悔がない交ぜになって心に押し寄せてきます。瞬時に冷静にもどって外の景色を見やると、それまでとまったく変わらぬまばゆい日ざしと、どこまでも青く澄んだ空が目に飛び込んできて、いい歳をしてかんしゃくを起こしたさっきの自分がなんだか妙におかしく思えてきました。

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「なるほど、ラップにキレちゃったわけですね」

職場の若い同僚にその話をしたら、すかさずそんな言葉が返ってきました。

「いや、キレたわけじゃなくて、かんしゃくをおこしただけなんだけど」と答えると

「どっちも同じじゃないっすかぁ」と一蹴されてしまいました。

 でも、どうもしっくりきません。確かに私の行動は衝動的ではありましたが、今風のキレるという表現とはちょっとちがう気がしてならないのです。それからしばらくは、「かんしゃくを起こす」ことと「キレる」ことはどう違うかをずっと考えていましたが、すっきりした答えは得られませんでした。

 ただ、私なりにひねくり出した答えがあります。それは、いわば導火線の長さのようなものです。私の場合は、ゆでている麺のことを忘れるほど時間をかけてラップの切り口を探していたわけで、その間いろいろな試行錯誤を重ね、もがき苦しみ(これは大げさですが)、その結果努力が実らなかったことに失望して気持ちが昂揚したのです。それに対して「キレる」は、周りの人が予測不可能なほど瞬間的に激昂してしまうところが大きなちがいではないでしょうか。

 でも、そんなことをいくら言っても、一生懸命言い訳をしているみたいですね。結局とった行動は同じだと考えると気恥ずかしく、思い出すたびに苦笑してしまいます。

どなたか私のとった行動を弁護してくださるありがたいお方はいませんか。

オホーツク新聞 平成19年11月16日掲載