寄稿
平野 学   におい

 所用で久しぶりの京都にでかけたときのことです。空いた時間を使って、前から楽しみにしていた「お香」の専門店を訪れました。さまざまな種類のかぐわしいお香があり、ひとつひとつ手にとって、その香りを楽しむだけでも相当時間がかかり、どれを買っていこうか、あれこれと迷ってしまいます。

 あわただしく自分のお気に入りをさがしているのは、やはり旅行客が多いようです。私の横で先ほどから二人連れのお嬢さんの会話が耳に入ってきました。

 「わあ、いいにおい。ほら嗅いでごらんよ」

 「ほんとだ、いいわねえ」

 その会話に、私はどうしてもひっかかるものがありました。「におい」という言葉です。その響きからは臭気が漂ってくるような気がしてしかたないのです。実は「におい」という言葉はけっして悪い表現ではないのですが、いつの間にか私はそういう刷り込みをされているような気がします。

 その理由を考えてみました。まず「におい」という言葉に当てる漢字についてです。そもそも「におい」と読む漢字は「匂い」と「臭い」のふたつがあります。「匂」と書く方はよい香りのすることや人間に気品があること、おもむきのあることを示す字で万葉集にも登場する古来から用いられてきた言葉です。一方の「臭」の方は言うまでもなくくさい嫌なにおいのすることです。しかし、両者の知名度といえば、圧倒的に「臭」の方が勝っています。実際に職場で同僚に「におう」を漢字で書いてもらうと、ほとんどの人が「臭」を書きました。テレビでさかんに放送している消臭剤の宣伝効果があるかもしれません。

 次に、「嗅ぐ」という動詞にも着目してみました。辞書にあたってみると、「鼻でにおいを感じる」「さぐり知る」(角川)と書かれています。臭気のもとになるものをくんくんとさがしたり、プライバシーや秘密を暴こうとする雰囲気をもっています。

 実際、いい香りに対しても「嗅ぐ」にとって代わる適切な動詞がないので、私たちは日常しかたなく「嗅ぐ」で済ませるか、せいぜい「味わう」または「満喫する」などと表現する程度です。

 ところが、現在ではあまり使われていない言葉の中に、たいそう素敵な表現を見つけました。「香りを聞く」というものです。「聞く」は今ではもっぱら音や声を耳でとらえることに対してしか使われませんが、古くは香りを感じることに対しても用いられていたのです。

 この表現には、えもいわれぬ奥ゆかしさがあると思います。匂いをどん欲にむさぼるのではなく、その場で五感をとぎすませて静かに受け止める感じです。香気を運んでくる風の音も、その暖かさや冷たさすらも一緒に伝わってくるようです。きっと心の中のイマジネーションも、ぐっと豊かな彩りをもって広がっていくことでしょう。こんな風に感じ取ることができたら、きっと認識が変わるだろうなということが、日常生活の中には、ほかにもいっぱいあるような気がしています。

 さて、京都で買ってきた香は、ときどき気持ちのリフレッシュのために焚いて、香りを「聞いて」います。拙宅を訪れるお客人が「あっ、いいにおい」と言うたびに、やはり一瞬「臭」の字が心に浮かんでしまいますが、頭の漢字変換キーをもう一度押して「匂」の字に変換し直しています。