寄稿
平野 学   かき、いかがですか?

 今年も信州の母から柿がどっさり届きました。この柿の木は、私が生まれた年に父が接ぎ木した、いわば私の記念樹です。歳月を経てずいぶん老木になりましたが、いまでもたくさんの実をつけてくれます。

 ところでこの柿、実は渋柿です。渋柿の渋さをご存じですか。無防備にがぶりとかじったものなら、口の中いっぱいに異物が幕のように張り付いて離れないのです。しばらくは何を食べても味を感じられなくなるほどです。その不愉快なこと、これはうっかり渋柿をほおばったことのある人にしか分からないでしょう。

 郷里の信州には、私の実家にかぎらず庭先に柿の木のある家がけっこうありましたが、町内の子供たちはどの家の柿が甘柿か渋柿かをちゃんと知っていて、こっそり失敬するときも、めったにどじな轍を踏むことはありません。ところがたまに親に連れて行ってもらったよその町などでは勝手が違います。柿は外観ではそれが甘いか渋いかは分かりません。にもかかわらず、たわわに実った黄金色の柿を見ているうちに、それはきっとほっぺたの落ちそうな甘柿ではないかと、愚かにも楽観的な期待をもってしまうのです。実力行使に出て、成功することもありましたが、見事に外れてあわてて吐きだしたけれど後の祭りということもありました。

 さて、そんな渋柿ですが、これを甘く食する方法がふた通りあります。ひとつは皮をむいて干し柿にする方法です。そしてもうひとつは、生のままへたの部分に焼酎を少量ふくませ、ビニール袋に入れて数日間密封しておくのです。すると不思議不思議!あれだけ渋さを誇った柿がすばらしい甘柿に変貌します。そんな方法を生活の中に見出してきた人類の知恵に今更ながら感心します。

 この柿を、職場のある同僚にお裾分けしたときのことです。ちょうど廊下で彼女に話しかけようとした矢先に、相手から「かき、いかがですか?」の言葉が聞こえるではありませんか。えっとびっくりです。私もまったく同じ言葉を用意していたからです。でもその驚きは言葉の抑揚の違いですぐに解消しました。彼女の「かき」はオホーツク海のかきだったのです。不思議な偶然に、ふたりでにっこりしながらひだまりの廊下で話がはずみました。

 その夜、さっそくワインを飲みながら、私はいただいた海の幸のかきをおいしくいただきました。母の柿をさしあげた方々からも、甘いと大好評が届いています。ふだんは電話で手短かに荷物の到着を報告するだけですが、珍しく一枚の葉書で母に礼状をしたためました。窓の外をはらはらと舞い落ちる雪の便りとともに。

北海道新聞 道新かわら版「火曜日の食卓」掲載

(今年最初の真冬日2)